土曜日に引退式が行われたがその際に、父洋一氏が奥様と共に阪神競馬場に登場し祐一氏から花束を受取るという感動的な場面が見られた。
車椅子に乗る洋一氏の姿を見て、もし、あの事故がなかったら・・・と数多の競馬ファンは万感の思いに浸ったことだろう。
もちろん私もそのひとりだ。
私は洋一氏の全盛期をライブで見ることが出来た世代だが何しろ凄かった。
当時は今のようにフリー騎手はおらず各騎手は厩舎に所属しなければならず自由に騎乗馬を選べるような環境ではなかった。
栗東所属の洋一氏が東京・中山・白井所属馬に乗る機会もほぼなかった。
そんな中で洋一氏の勝ちっぷりは凄まじく騎手生命を絶たれた前年は当時の年間最多勝利数を更新するほどで、更に活躍が期待される正に全盛期を迎えようかというその時に悪夢の落馬事故が起こってしまった訳だ。
連帯率は常に.350を超え落馬事故の前年、前前年は4割を超す率を記録していた。
今も語り継がれるのは初のクラシック制覇なったニホンピロムーテーの菊花賞。
当時(今の)神戸新聞杯、京都新聞杯を連勝した馬は菊花賞では勝てないジンクスが存在していた。
今は有力馬はこんなローテを取らないが当時は既定路線で、ニホンピロムーテーはこれを連勝して菊花賞に駒を進めた。
当然の1番人気で出走したニホンピロムーテーだが洋一ジョッキーは2週目向こう正面で先頭に立つという驚きの騎乗を見せた。
中継していた関テレの杉本アナが驚きを表し、「福永洋一騎手の胸中やいかに!」とアナウンスしたのを思い出す。
しかし3コーナーの坂を越え、直線になっても脚は止まらず結果は逃げ切り。
天才福永洋一騎手誕生の瞬間だったと思っている。
その後も逃げてよし、追い込んでよしと変幻自在の騎乗ぶりはスターそのものだった。
気まぐれジョージと言われたエリモジョージとのコンビも懐かしく、あの事故さえなければ、武邦彦はもちろん、河内、田原、さらには武豊、各ジョッキーと数多くの名勝負が見られたのにと今更ながら残念至極としか言いようがない。
洋一氏にはこれからも調教師となった祐一氏の活躍を長く見続けてほしい。
久しぶりに洋一氏の姿を見て天才と謳われた騎手時代の溌溂とした姿を思い出すことが出来てなんだか懐かしい気持ちになった。