仕事以外全部趣味
競馬を見だして、かれこれ50年以上。
競馬を知るきっかけはタニノムーティエだ。
馬券を買える年齢ではなかったが、日曜日のテレビ中継は欠かさず見ていた。
馬券を買いだしたのは社会人になってからで最初は名前で買う馬を決めていた。
その後いわゆるケントク買いにハマった時期もあった。
高本方式の全盛期だ。
2~3冊本を買った(今も捨てずに持っている)。
セミナーにも参加したことがある(笑)。
いまとなっては良い思い出だ。
これだけ長く競馬を見ていると記憶に残るレースは数多い。
今回は1973年「菊花賞」
何しろ年くってるもんで、紹介するレースのほとんどが、かなり昔になってしまう。
しかし今回の菊花賞はあまりにも有名。
杉本アナのハイセイコーとタケホープ!の名調子を、知っている若い人も多いだろう。
優勝はタケホープ。
長距離血統で、当時は今のような距離別体系が整備されていなかったので、タケホープのような馬は持てる力を出せるレースがデビューからしばらくはなかった。
実際タケホープは新馬戦を勝ちあがったあと、2勝目をあげるのに7戦を擁した。
その7戦目が3歳(現在の馬齢表記)初戦の若竹賞だったこともあり、クラシック路線に馳せ参じるが、東京4歳ステークス3着、弥生賞7着で皐月賞は未出走。
続く4歳中距離特別で初の2000Mを1着とし、ダービー出走に間に合った。
対して2着のハイセイコー。
社会現象にもなった超のつく人気馬で、主戦増沢末夫騎手が歌った「さらばハイセイコー」は大ヒットとなった。
ハイセイコーは地方大井競馬で6連勝。
2着との着差は、8馬身、16馬身、8馬身、10馬身、7馬身、7馬身。
こんな圧勝の連続、後にも先にも見たことがない。
レベルの高い大井でこれだけの強さを見せたので、つけられたニックネームは怪物。
その怪物が中央競馬に移籍となったので、当時は大盛り上がりとなった。
週刊誌で特集を組まれたことを覚えている。
その時に使われた写真は、メンコをつけたハイセイコーが前足を挙げて立ち上がっている姿。
その写真を見た当時の印象は「怖い!」だった。
大井時代ほどの圧勝は出来なかったが、見事優勝。
実はここでタケホープと初めて対戦しているが、菊花賞で歴史に残る大勝負を演じるとは誰も考えていなかったのではないか。
ハイセイコーは続いてスプリングステークスに出走しこれも優勝。
皐月賞は当然の1番人気で、2着カネイコマに2馬身1/2差で優勝。
地方通算9連勝でクラシック1冠を手にしたのだ。
ハイセイコーはNHK杯に出走(今では考えられないスケジュールだ)し1着。
デビューからの連勝を10と伸ばした。
ただ、このレース、残り200M時点でまだ4番手。
盛山アナが「あと200しかないよ~」と実況したのは忘れられない。
当然ダービーは1番人気。
ここでタケホープが9番人気の低評価を翻して優勝。
ハイセイコーは3着に沈み、連勝も10でストップしてしまった。
ハイセイコーは1番人気、タケホープはダービーがフロックと思われたのか6番人気。
トライアルと言っても負けすぎのタケホープ。
迎えた本番菊花賞。
タケ・・・ホープにタケ・・・邦彦。
まだ高本方式は世に出てなかったが、何となくビビビときた人も居たかもしれない。
ハイセイコーは大井から13戦連続1番人気。
タケホープ14戦目で1番人気は僅か2回。
しかし結果は・・・
菊花賞は3000Mの長丁場。
ビデオは3分を超えるが、全て見るのが辛い人は2週目3コーナーまで飛ばしてくれてもかまわない。
例によって貼付け可能なYouTubeから。
杉本アナの名調子と共にご覧あれ。
ゴール前図ったようにタケホープの追込みが決まった。
淀のコースを熟知している名手武邦彦騎手の見事な手綱捌きだった。
ハイセイコーも菊花賞は距離不安説があったが、これ以上ない見事なレースだった。
3000M走ってきて、タケホープとの差は僅かハナ差。
この後タケホープは明けて4歳(現在の馬齢表記)、2400MのアメリカJCCと3200M天皇賞春に勝利。
夏を休養し、オープン戦をはさみ有馬記念に出走。
明けて4歳、宝塚記念と高松宮杯に勝利して夏を休養し、秋2戦してタケホープと同じ有馬記念に出走。
タケホープは生涯3度目の1番人気。
ハイセイコーは生涯初の3番人気だった。
このレースを勝ったのは、2番人気のタニノチカラ。
盛山アナが「タニノチカラが断然強い!」と実況したほど。
このレースを最後に、タケホープとハイセイコーはターフを去った。
長距離血統ということで肌馬にも恵まれなかったのかどうか知らないが・・・。
それはちょっと残念ではある。
対してハイセイコーは、数々の名馬を世に出した。
やはり競馬は奥深い。
タケホープ 19戦7・0・3・9
ハイセイコー 22戦13・4・2・3(地方6戦含む)