影無茶のスポーツトゥエンティフォー・セブン

ルール知らなくても面白く読んでいただけることを目指します

JRA思い出のレース 1974年有馬記念 タニノチカラが断然強い!

仕事以外全部趣味

競馬を見だして、かれこれ50年以上。

競馬を知るきっかけはタニノムーティエだ。

これだけ長く競馬を見ていると記憶に残るレースは数多い。

今回は1974年有馬記念

毎回古い話で恐縮している。

勝ったのはタニノチカラ

タニノムーティエの弟になる。

兄は皐月賞、ダービーを勝ち3冠確実と言われたが、喉なりを発症し菊花賞は11着。

そのレースを最後に引退してしまう。

弟のチカラは兄と違って古馬になって大活躍。

何故そうなったかというと2歳(現在の馬齢表記)から3歳にかけて2度の骨折。

それにより3冠レースは出走すら出来なかった。

しかし4歳になって復活したタニノチカラは圧勝の連続。

不良馬場のオホーツクHこそ4着に敗れたが、重賞を連覇し、秋の天皇賞を制する。

その年の有馬記念は4着に敗れたが、現役を続行した5歳も全て馬券に絡み、雪辱を果たすため再び有馬記念に出走してきた。

(この頃は天皇賞は1度勝つとその後は出走できなかった。)

しかし、このレースの主役はタニノチカラではなかった。

ハイセイコータケホープ

引退レースでもあり、この宿命のライバルにスポットライトが浴びせられていたのだ。

しかしレースは・・・。

例によって貼付け可能なYouTubeからどうぞ。

 


www.youtube.com

 

盛山アナウンサーの声が若い。

観客はハイセイコータケホープの激闘を望んでいたに違いない。

しかしタニノチカラはこれを嘲笑うかのように強さを見せつけた。

盛山アナがゴール前の直線で叫んだ「タニノチカラが断然強い!」の言葉は、今も脳裏に強く刻まれている。

余談だが、有馬記念、あるブロガーさんも書いていたが、やはり年の最後は有馬記念であって欲しい。

若い頃、場外馬券売場に馬券を買いに行ってた時は、1週前の(当時行われていた)スプリンターズステークスでカレンダーを貰い、有馬記念で1年の最後を締めくくった。

それが年の瀬のひとつのルーティーンだった。

さて、タニノチカラだが6歳初戦、京都記念で何と63キロを背負って、2着に10馬身以上の大差で勝利。

とんでもない強さにサラブレッドの完成形を見たとさえ思った。

最後のレースは、キタノカチドキ、イットーと共に出走した伝説のマイラーズカップ

1番人気となるが、結果は3着。

レース後に故障が発生し休養に入るが結局そのままターフを去った。

首を低くして走る独特なフォーム。

栗毛の美しい馬体。

とにかくカッコいい競走馬だった。

戦績 24戦 13・5・4・2

 

kagemucya.hatenablog.com