仕事以外全部趣味
競馬を見だして、かれこれ50年以上。
競馬を知るきっかけはタニノムーティエだ。
これだけ長く競馬を見ていると記憶に残るレースは数多い。
今回はダートGⅠフェブラリーステークス。
今でこそ地方合わせて多くのダートGⅠが存在するが、このレースはその第1号だ。
開催はレース名の通り2月で、その年の最初のGⅠでもある。
最も初めからGⅠだった訳ではなく、最初はフェブラリーハンデキャップという名のGⅢレースだった。
それでも当時はダート重賞は存在せず、初のダート重賞として創設された歴史を持つ。
フェブラリーステークスの時期になると、ある競走馬を思い出す。
その名はアスコットエイト。
つけられた愛称が「砂怪物」
当時フェブラーハンデキャップはこの馬のために創設されたと思われたものだ。
ダート新馬戦を快勝。
しかしその後3歳(現在の馬齢表記)夏までは思うような結果を残せなかった。
そんなアスコットエイトが秋になって一変。
ダートの平場、特別を連勝、その差が何と9馬身、大差。
続いて菊花賞に出走するが21頭立ての21着。
ダートで思うような出走レースがなかったのか続いて芝重賞愛知杯で5着。
明けて4歳初戦のダートオープン特別で2着に大差をつけて圧勝。
そして迎えたGⅢ中日新聞杯。
本来芝の重賞だが、豪雪により1700Mダートに変更。
アスコットエイトにとっては奇跡のようなお膳立てだ。
結果は2着にまたも大差をつけて、レコードタイムで重賞制覇。
3歳秋以降ダートレースに限ると4戦4勝で2着との差は9馬身、大差、大差、大差。
正に1頭だけ異次元の走りをしていたのだ。
そして迎えたフェブラーハンデキャップ。
アスコットエイトは当然1番人気。
結果はロバリアアモンの2着。
応援していた馬が負けて落ち込むことは多いが、アスコットエイトの敗戦は、その中でも3本の指に入るほどのショックを受けた。
YouTubeで検索したら、フェブラーハンデキャップも中日新聞杯も、最後の直線だけ映っている映像があった。
その中日新聞杯と第1回フェブラーハンデキャップ、共に貼り付けさせていただく。
その後仁川ステークスを勝って、それが最後の勝利となった。
以後3戦未勝利で引退。
アスコットエイト。
中日新聞杯で運を使い果たしてしまったのだろうか。
それでもぶっちぎりで勝利するその姿は今でも強烈な印象として脳裏に刻まれている。
戦績 21戦 7・1・3・10