仕事以外全部趣味
競馬を見だして、かれこれ50年以上。
競馬を知るきっかけはタニノムーティエだ。
これだけ長く競馬を見ていると記憶に残るレースは数多い。
※ここに記載する馬齢は全て現在の表記で統一します
今回は1973年天皇賞春。
古いレースばかりで恐縮だが、すでに開き直っている自分がいる。
当時は馬券を買える年齢ではなく、競馬をスポーツドラマとして見ていたので、今も記憶が鮮明ということもある。(年寄り特有かも・・・)
さて今回だが、タイテエムを取り上げる。
オールドファンならご存知の方も多いのではないか。
この年代は強い馬が多く、個人的には最も強い世代だったと思っている。
この年、ロングエース、ランドプリンス、タイテエムが関西3強と言われていた。
その他にも故障でクラシック戦線から離脱した怪物ヒデハヤテも居た。
ハマノパレードも同じ世代だし、ユーモンド、マーチスセカンド、ランドジャガーなど、関西の秘密兵器と言われる馬も多数存在していた。
関東にもイシノヒカル、ハクホウショウ、ストロングエイト、スガノホマレ、タケデンバード、タケクマヒカル、ノボルトウコウがおり、正にキラ星の如くであった。
しかし、3歳になり、関西馬がどんどん東上して東のトライアルに出走し始めると、全てのレースで関西馬が勝利した。
スプリングステークスが1着タイテエム、2着ヒデハヤテ。
こういう状況だった。
そして迎えた皐月賞は1番人気がロングエース、2番人気にタイテエム、3番人気ランドプリンスで、ようやく4番人気に関東馬イシノヒカルだったのは必然だったのだ。
尚、ヒデハヤテは脚部不安によりクラシックレースから離脱している。
結果は伏兵だったランドプリンスが1冠目を制覇。
ロングエースは3着、タイテエムに至っては掲示板にも乗らない7着だった。
タイテエムはダービーに直行せずNHK杯に出走。
1番人気だったが、ここでも関西から東上してきたランドジャガーが優勝し、2着にハクホウショウ、タイテエムは3着とまたしても敗れたのだ。
当時関東の騎手が関西馬に(その逆も)騎乗することは珍しく、ダービーもこのコンビが継続された。
そのダービーは関西3強がゴール前馬体を併せての激戦。
わずかにロングエースが1着、クビ差でランドプリンス、そこから頭差でタイテエムが3着という結果となった。
この年のダービーは歴史に残る名勝負と言って良いだろう。
関西3強の内ランドプリンスとロングエースはクラシックを制した。
残る菊花賞はタイテエムが勝って欲しいと願う関西のファンは多かった。
今度こそ!と菊花賞は1番人気に支持されたが、結果は2着。
勝ったのは関東の大将イシノヒカルだった。
当時は3歳馬は有馬記念では勝てないと言われていたが、見事に制覇。
同年の年度代表馬に選ばれた。
タイテエムは結局3歳クラシックを勝てなかった。
こうなれば、何が何でも天皇賞春を勝って欲しい。
ファンの多くはそう思った(もちろん私もだ)。
明けて4歳になり金杯に出走するが4着。
このレースのことは記憶にないが、おそらく結果を見てめちゃくちゃ心配したと思う。
続いてマイラーズカップに出てここ1着。
金杯の敗戦がマイナス材料に見られてのか、5番人気という低評価だったが名誉挽回。
天皇賞・春を1番人気で出走したのだ。
当時、タイテエムが悲願の8大競争を勝てるのか、勝って欲しいという空気が充満していたのはよく覚えている。
当日は突然の雨。
またも波乱が起こるのか、不穏な空気が流れたが結果は・・・。
ついに、ついに、悲願の8大競争制覇が成ったのだ。
レースは激しい雨に見舞われたが、レース後は一転天気が回復し、タイテエムの優勝を祝うかのような状況だったと記憶している。
その後、宝塚記念は2着。
種牡馬としても多くの重賞馬を輩出した後、25歳で老衰により天国に旅立った。
四白流星、鹿毛色の美しい馬体。
最後の最後に八大競争を制覇など、ドラマチックな展開により人気があった。
タイテエムのことを思い出すと、競馬はドラマなのだとつくづく思う。
戦績 16戦 8・2・3・3