影無茶のスポーツトゥエンティフォー・セブン

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JRA思い出のレース 1992年オークス サンエイサンキューに田原ジョッキーがレース初騎乗した日

仕事以外全部趣味

※ここに記載する馬齢は全て現在の表記です

競馬を見だして、かれこれ50年以上。

競馬を知るきっかけはタニノムーティエだ。

これだけ長く競馬を見ていると記憶に残るレースは数多い。

 

今回は1992年優駿牝馬オークス)。

勝ったのはアドラーブル

当時出世レースと言われたチューリップ賞に勝って桜花賞も2着。

ダートを使われることが多く小柄だったこともあってか、実力程人気にならなかった。

オークス当日も4番人気。

1番人気は桜花賞ニシノフラワー

2番人気は桜花賞断念レースの忘れな草賞と4歳牝馬特別を連勝中で武豊騎手騎乗のキョウワホウセキ

3番人気がデビューから3戦、連を外さなかったタイコサージュ。

そして4番人気がアドラーブルだった。

5番人気に桜花賞3着のラックムゲンと続き、今回話題にするサンエイサンキューが6番人気で続いた。

サンエイサンキューに騎乗するのはオークスから乗り替わりで田原ジョッキー。

この時点でサンエイサンキューは実に11戦目のレース。

2歳時だけで7戦走っており、当時としてもかなりのハードな日程だ。

田原は元々物言うジョッキーであり、後に馬主との対立を生むことになる。

まずはレースの映像を貼付け可能なYouTubeから見ていただきたい。

レースはとても見ごたえのある内容。

最後の直線、武豊キョウワホウセキが抜出し、逃げ切りを図るが、内ラチ一杯を田原のサンエイサンキューがスルスルと抜け出し先頭に立つ。

そこを外からアドラーブルが怒涛の追込みで前2頭を抜き去るのだ。

若かりし三宅アナの実況。

 


www.youtube.com

 

田原騎手はダービーでもグランパスドリームで内ラチ一杯を通って、コースの利を活かして2着に持ってくるなど、とにかく魅せるジョッキーだった。

しかしサルノキングの騎乗や、引退後多くの問題を起こし、JRAからはほぼ追放された形になっている。

どうしてこんなことになったのか残念でならないが、武騎手、河内騎手とはまた違う個性的なジョッキーで華があったのは間違いない。

もちろん犯した犯罪は許すことが出来ないが・・・。

さてこのレースで2着となったサンエサンキューは、オークス以降も休みなく走り続け、札幌記念函館記念、秋に入り、サファイヤステークス、ローズステークスを使われてエリザベス女王杯に出た。

お気づきだろうが、ちょっと異常な出走ペースだ。

田原騎手は使いすぎてることに異議を申し立てた。

しかし馬主は(これがまた評判が悪かった)馬耳東風。

札幌記念函館記念の両方使うのもなかなかだし、サファイヤとローズを両方使うのははっきりいって、バリバリオープン馬のローテーションではない。

エリ女の時にはすでにサンエイサンキューは壊れる寸前だったと言われている。

それが何と有馬記念に出走してきた。

反対していた田原騎手は降ろされた(のだと思う)。

この頃になると、競馬ファンも馬主や調教師に批判を浴びせていたと記憶している。

そして有馬記念サンエイサンキューは故障発生。

治療の甲斐もなく最後は心不全でこの世を去ってしまったのだ。

私は結果としてオークスのパフォーマンスが、田原とのコンビにより、最高にサンエイサンキューが輝いた瞬間だったと思うのだ。

 

戦績 17戦 5・5・0・7

 

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