競馬を見だして、かれこれ50年以上。
ブログで幾度か書いているが競馬を知るきっかけはタニノムーティエだ。
もちろん馬券を買える年齢ではなかったが、日曜日のテレビ中継を欠かさず見ていた。
馬券を買いだしたのは社会人になってからで最初は名前で買う馬を決めていた。
その後いわゆるケントク買いにハマった時期もあった。
高本方式の全盛期だ。
2~3冊本を買った(今も捨てずに持っている)。
セミナーにも参加したことがある(笑)。
いまとなっては良い思い出だ。
これだけ長く競馬を見ていると記憶に残るレースは数多い。
第5回目の今回は1988年皐月賞で並み居る強豪を抑えて優勝したヤエノムテキ。
四白流星、栗毛の美しい馬だった。
同期にオグリキャップ、メジロアルダン、スーパークリーク、サッカーボーイ、ディクターランド、サクラチヨノオー、バンブーメモリーなどがいるハイレベルの世代だ。
しかしヤエノムテキは当初ダートで2戦。
そのレースを共に圧勝したことで芝に路線変更。
そういうこともあって18頭立て9番人気と評価は低かった。
それはそうだろう。
この時点で芝未勝利。
東上最終便と呼ばれていた上記記載の毎日杯が4着。
キャリアも僅か3戦だった訳だから。
ところがレースが始まってヤエノムテキは出足鋭く好位置につける。
その後も終始4~5番手をキープしてサクラチヨノオーをマークしてレースを進め、後のダービー馬サクラチヨノオーを残り200mで交わして先頭に。
大外から飛んできたディクターランドの猛追を振り切って皐月賞を制覇したのだ。
この前年まで競馬界は完全に東高西低だった。
2着も関西馬ディクターランドで皐月賞の関西馬ワン・ツーは何と23年ぶり。
競馬に西も東もないが、当時まだ若かった私は関西馬が弱いことに忸怩たる思いを持ち続けていた。
その思いはファンだけでなく、当時の厩舎関係者、騎手、全てそう思っていたと思う。
ヤエノムテキの優勝には正直驚いたが、これで潮目が変わったのか翌年から関西馬の大逆襲が始まったのだ。
それはヤエノムテキから始まったと言って過言ではない。
貼付け可能なYouTubeから貼らせてもらったが、実況アナもヤエノムテキが抜け出したところで、関西馬という表現をしている。
最近はテレビの実況で関西馬、関東馬というフレーズを聞かなくなった気がする。
ヤエノムテキはこの後ダービーに直行したが4着。
ダービー以降もGⅡは勝つがGⅠでは惜しいところまでは行くが6連敗となり、もうGⅠは勝てないと思われた6歳(当時の馬齢表記・現5歳)の天皇賞・秋。
バンブーメモリー、オグリキャップ、オサイチジョージ、ラッキーゲラン、ドクタースパートなどのGⅠ馬、後のアッと驚くダイユウサクや、強豪メジロアルダンなどを相手に当時のレコードタイムで優勝。
2度目のGⅠ制覇を成し遂げたのだ。
奇しくも舞台は中山改修で代行開催された皐月賞と同じ府中の2000だった。
戦績 23戦8・4・3・8