先週の木曜日、元横綱曙関が亡くなられたことが報道された。
まだ54歳という若さだった。
しかもここ7年は闘病生活をおくっており、現役時代の活躍を知っている者からすれば今回の報を受け、残念という言葉しか見つからないというのが正直な感想だろう。
思い出されるのは闘病中に放映されたテレビの企画。
花田虎上氏(若乃花)が入院している曙氏に会いに行くという物だった。
カメラに映る曙氏は表情が無く、視線も宙に浮いた状態でベッドに横たわっていた。
そこに花田氏が現れ、曙氏に近づいて声をかけたところ、曙氏の表情が明らかに変わり、生気が戻ってにこやかに花田氏を見つめたのだ。
記憶がよみがえったのだ。
共通の話題で話しが通じ、曙氏の嬉しそうな表情を見て、医学の壁を超えた奇跡を見た気がしたのを今も覚えている。
私が曙氏を見たのはその時のテレビが最後で、結局帰らぬ人となってしまった。
曙氏の死後、多くのメディアが曙氏の死去について報道し特集を組んだ。
一般の人も曙氏死去のことを知ると一様に驚き、現役時代を懐かしんでいた。
多くの人に愛された横綱だったのだ。
ご存知のようにこの3力士は永遠のライバルとして横綱まで上り詰めた。
同じ初土俵の3人が横綱に昇進した例は記録を探ると、明治以降では明治43年1月初土俵の常ノ花、西ノ海、大錦と2例のみではないか。
異例のことなのだ。
若貴と曙関はお互いに切磋琢磨し激闘を繰り広げ、空前の相撲人気に沸いた。
新入幕は貴乃花が一足早く平成2年5月、若乃花と曙が平成2年9月。
三役は曙が最も早く平成3年3月、次いで貴乃花3年7月、若乃花3年11月。
大関昇進は曙が最も早く4年7月、貴乃花が5年3月で若乃花は5年9月。
ここまで3力士はほぼ誤差なく番付を上げたが綱取りは曙が滅法早かった。
最終的に3人共横綱になったが若貴にとって曙関は綱取りへの大きな壁となった。
有名なのは曙関と若貴兄弟が13勝2敗で並び、巴戦による優勝決定戦が行われた平成5年7月場所。
曙関が二人に連勝し横綱昇進後初、通算4回目の優勝を飾った。
この時貴乃花が優勝しておれば2場所連続優勝で横綱昇進は確実だった。
しかし昇進は見送られ、結局貴乃花が横綱になるにはこの後8場所を擁する。
このように当時曙関はどちらかというと敵役的な役割に回ってしまったことになる。
しかし曙と若貴の激闘は永遠に語り継がれる名勝負のオンパレードだった。
この3人が同時期に存在していたのは正に天の配剤。
残念なのはこの3人が結果として誰一人角界に残らなかった事実だ。
こればかりは如何ともしがたい・・・。
曙の引退は平成13年1月場所後。
○通算幕内戦績 566勝198敗181休 優勝11回
○横綱成績 432勝122敗166休 勝率.780
○若貴との対戦成績(幕内本割の戦績)
外国人初の横綱として大相撲の歴史に永遠に残る。
最後に貼り付け可能なYouTubeから激闘4番勝負を。
※本文中の記録は相撲レファレンスを参照させていただきました。