仕事以外全部趣味
競馬を見だして、かれこれ50年以上。
競馬を知るきっかけはタニノムーティエだ。
馬券を買える年齢ではなかったが、日曜日のテレビ中継は欠かさず見ていた。
馬券を買いだしたのは社会人になってからだ。
高本方式の全盛期。
2~3冊本を買った(今も捨てずに持っている)。
セミナーにも参加したことがある(笑)。
いまとなっては良い思い出だ。
これだけ長く競馬を見ていると記憶に残るレースは数多い。
今回は1985年、第2回マイルチャンピオンシップ。
当時JRAはグレード制導入を進め、距離別にレース体系をまとめつつあった。
そんな変革の波に乗って活躍したのが、ニホンピロウィナーだ。
グレード制導入がもう1年遅れていたら、彼はこれ程の注目は浴びなかっただろう。
戦績を振り返る。
新馬、特別、重賞(デイリー杯)と3連勝。
阪神3歳ステークス(現、牝馬限定ジュベナイルフィリーズ)で2着に敗れたが、明けて4歳になり(馬齢は当時の表記)きさらぎ賞を制覇し皐月賞に駒を進める。
ここで何と20着のどん尻(1頭出走取消)。
敗戦原因を距離の限界とした調教師の判断で、秋以降単距離路線に進むことになる。
レースは雨の不良馬場。
もし良馬場ならばニホンピロウィナーが勝っていた可能性もあったと私は思っていて、その後の運命は大きく変わっていたかもしれない。
しかし、結果として、マイル王の称号を得るほどの活躍をしたのだから、皐月賞の結果は天の思し召しだったのかもしれない。
そんなニホンピロウィナー。
秋のオープン戦2着の後、破竹の進撃を開始。
以後、初のGⅠ制覇となる5歳秋の第1回マイルチャンピオンシップ迄、8戦7勝2着1回と、圧倒的な強さを誇った。
とは言う物の、この期間、故障で春は休養しており、ここで活躍したのが単距離3冠をぶっこぬいたハッピープログレス。
この2頭が同時期に存在したのも何かの縁であろうか。
レースは、ニホンピロウィナーがハッピープログレスに半馬身差で勝利。
ニホンピロウィナーここにありと存在を示した。
6歳になり、マイラーズカップ、京王杯スプリングカップを勝って、春のマイル王決定戦安田記念も勝利。
秋春のマイルGⅠを連勝したことで、マイル王の称号を得た。
その後、秋に前年に距離2千メートルとなった天皇賞秋で3着。
2000でも通用することを証明。
今回貼らしていただくのは、天皇賞秋後の、第2回マイルチャンピオンシップ。
ニホンピロウィナーの引退レースだ。
マイル王の称号通り、圧倒的な強さを見せた。
例によって貼付け可能なYouTubeから。
ニホンピロウィナーは4年に渡り、5歳春を除き走り続け、最後のレースも圧勝。
種牡馬としても、ヤマニンゼファー、フラワーパークのGⅠ馬を含め、多くの重賞馬を世に送り出した。
グレード制導入という変革期が生んだ、まさに時代の寵児だったのだ。
戦績 26戦 16・3・1・6
マイル以下 18戦 14・3・0・1