競馬を見だして、かれこれ50年以上。
ブログで幾度か書いているが競馬を知るきっかけはタニノムーティエだ。
もちろん馬券を買える年齢ではなかったが、日曜日のテレビ中継を欠かさず見ていた。
馬券を買いだしたのは社会人になってからで最初は名前で買う馬を決めていた。
その後いわゆるケントク買いにハマった時期もあった。
高本方式の全盛期だ。
2~3冊本を買った(今も捨てずに持っている)。
セミナーにも参加したことがある(笑)。
いまとなっては良い思い出だ。
これだけ長く競馬を見ていると記憶に残るレースは数多い。
この年JRAは現在につながる大改革を行った。
グレード制の導入とそれまで全く整備されていなかった距離別レース体系の整備だ。
今でこそスプリンター、マイル、中距離、長距離、ダートと明確にレース体系が整えられているが、この1984年の改革が起点になっている。
まずJRAが手をつけたのが短距離路線の確立だった。
春の安田記念と秋に新設のマイルチャンピオンシップをGⅠレースと格付け。
短距離適性の競走馬に明確な目標を持たせた事でレースレベルは各段に上がったのだ。
その記念すべきGⅠに格付けされた最初の安田記念を制したのがハッピープログレス。
当時としては下り坂に入ったと言っても不思議でない7歳馬。
前年迄の戦績も19戦7・1・3・8と悪くはないが際立った成績ではない。
ところが単距離レース体系の整備によりハッピープログレスは時流に乗った。
JRAは3月のスプリンターズステークス(当時GⅢ)4月の京王杯スプリングカップ(GⅡ)そして5月の安田記念(GⅠ)を単距離3冠と呼んだ。
ハッピープログレスは何とこの3レースをぶっこぬいたのだ。
短距離体形の確立、グレード制導入の初年度にその3レースに勝利したハッピープログレスは時代を反映する正に申し子だったと言えるだろう。
ところがこの記念すべきGⅠに格付けされた安田記念。
別の意味で印象に残るレースとなった。
時間があれば見ていただきたい。
例によって君、もしくは・・・
違う違う・・・
例によって貼り付け可能なYouTubeから。
ご覧いただいた通り、モヤの中のレース。
画面ではかろうじて見えているが現場ではほとんど見えなかったようで、盛山アナの苦労の実況がそれを表している。
この画像では記録されていないが、レース後盛山アナに感想を聞かれた競馬の神様、故大川慶次郎氏が「感想と言われましても、何も見えませんでしたからねえ~・・・」と語ったのが忘れられない。
関西圏ではこの何もみえませんでしたからね~と言った瞬間にネットが関テレに戻ったのでその後の会話は不明である。
ハッピープログレスはその後夏を休養し秋に始動。
10月スワンステークス(GⅡ)を3着とまとめ秋の大目標新設GⅠマイルチャンピオンシップに出走するが2着。
暮れのCBC賞(当時GⅢ)に勝って有終の美を飾り引退した。
この時のスワンステークス、マイルチャンピオンシップを勝利したのが、後に単距離王と呼ばれたニホンピロウィナーである。
戦績 27戦 11・3・4・9
7歳時は8戦 4・2・1・1