競馬を見だして、かれこれ50年以上。
ブログで幾度か書いているが競馬を知るきっかけはタニノムーティエだ。
もちろん馬券を買える年齢ではなかったが、日曜日のテレビ中継を欠かさず見ていた。
馬券を買いだしたのは社会人になってからで最初は名前で買う馬を決めていた。
その後いわゆるケントク買いにハマった時期もあった。
高本方式の全盛期だ。
2~3冊本を買った(今も捨てずに持っている)。
セミナーにも参加したことがある(笑)。
いまとなっては良い思い出だ。
これだけ長く競馬を見ていると記憶に残るレースは数多い。
7回目の今回は2001年マイルカップ。
元はNHK杯と言う名のレースだったが、1996年にGⅠに格上げしてNHKマイルカップと名称も変更。
昔のNHK杯は皐月賞を使わなかった関西馬がダービー目指して東上する初戦として出走するケースが多く、当時関西の秘密兵器と呼ばれる馬が多かったが。秘密兵器は秘密兵器のままだったという場合も多く見受けられた。
GⅠに昇格して3歳マイル王決定戦との位置づけが明確にされた。
そんなマイルカップに一石を投じたのが今回取り上げた優勝馬クロフネだ。
競馬ファンならこの名を知らぬ人はほとんどいないだろう。
デビュー当初は松永幹夫ジョッキーが騎乗していたが、3歳になって武ジョッキーが騎乗するようになり当然のことながらマイルカップも手綱を取った。
後のテレビ番組インタビューで武ジョッキーは思い出に残る馬の1頭にクロフネを挙げ、牧場に行った時に近寄ってきてくれて可愛い馬と語っていた。
そのクロフネ。
一石を投じたとはどういう意味なのか。
それは、いわゆる松国ローテを世に知らしめた馬なのだ。
松国ローテとはマイルカップから中2週でダービーを走ることで、松田国英調教師の名前に由来する。
名前がつくだけあって、松田国師がこだわったローテションだが、競走馬への負担は大きく、両レースを好走した馬のほとんどが、早期に屈腱炎などにかかり引退を余儀なくされており、現在ではこのローテを踏む馬はほとんどいない。
しかし、21世紀最初のマイルカップでクロフネという名前の競走馬が斬新な試みを行い、一定の成果をあげたのは何か不思議なものを感じる。
実際クロフネは強かった。
残り1ハロン切ってから矢のように伸びてきてゴール前差し切って優勝。
そのレースを貼付け可能なYouTubeからご覧いただきたい。
直線グラスエイコウオーが抜け出しており、マイルカップではよくあるパターン。
普通ならそのまま1着でゴールでも何ら不思議ではないがクロフネはディープインパクトさながら飛んできた印象でグラスエイコウオーをゴール前で捉えた。
この後、松国ローテでダービーに挑むが5着。
秋にダートへ路線変更。
武蔵野S、ジャパンカップダートを共にレコードで圧勝するが屈腱炎で引退を余儀なくされる。
翌2002年はタニノギムレットがマイルカップ3着からダービー制覇。
2004年ついにキングカメハメハが初のマイルカップとダービーを連覇を達成。
しかし上記3頭はいずれも早期に屈腱炎を発症し引退。
幸いというか、上記3頭は種牡馬として偉大な成績を残している。
クロフネ、キングカメハメハは多くの名馬を生み出しており、タニノギムレットもあのウォッカを輩出した。
今ではほとんど見られなくなった松国ローテのパイオニア、それがクロフネだったのだ。
戦績 10戦 6・1・2・1