ダービーが終わりました。
まだ安田記念に宝塚記念が残っていますが、私の中では燃え尽き症候群。
秋は最後の最後に有馬記念が有馬記念、いやいやありますので気持ち的にもスッキリなんですが、春はやや中途半端です。
そもそも宝塚記念は春のグランプリと言われていますが、私のような古いファンはちょっと無理やり感が・・・。
まあそれでも結局馬券買うのでグチャグチャ言うのもあれなんですがね。
さてダービーは関東馬、堀きゅう舎ドゥラメンテが強かったですねえ~。
私が競馬を見始めた頃は、関東馬が圧倒的に強かったです。
フジテレビのアナウンサーも関東の競馬ファンも関西馬を見下していました。
タニノムーティエの頃から競馬見ていましたが、関東ではアローエクスプレス絶対だったんですよね。
皐月賞はタニノムーティエの末脚がさく裂しましたが、それでもダービーはアローが1番人気だったんですよね。
確かにNHK杯(マイルカップではありません)はアローが1着ムーティエが2着でしたが。
ダービーももちろんタニノムーティエが圧勝でした。
ほろぼれする強さでした。
余談ですがタニノムーティエ、ダービーが実に15戦目だったんですよ!
今では考えられない、というより、ありえないですね。
島崎調教師のスパルタ云々と言われていましたが、ちょっとひどい使われ方です。
ちなみにダービーまでの15戦の成績は(12、2、0、1)。
凄すぎる。
いつだったか忘れましたが、秋の天皇賞で(まだ3200メートルの時代)関西馬パッシングゴールが大逃げを打って逃げ切ったんですね。
後年柴田政人騎乗のプリティキャストがこれを上回る凄まじい大逃げで優勝しましたが、私は逃げ馬が好きなのでこの時の天皇賞は大好きなレースとして今でも懐かしく思い出します。
その年の有馬記念、関西からはパッシングゴールとその年のダービー馬ロングエースが出場しました。
忘れもしません、その時テレビ中継はフジの盛山アナウンサーです。
「関西は面白い馬を送ってきますね」
聞き方によっては敬意を表してくれたとも取れますが、上から目線であることは間違いありません。
まあ、それほど全体的に関西馬は弱かったんです。
スポット的に強い馬が出ても続きませんでした。
同世代にオグリキャップ、スーパークリークがおり、ダービーこそ関東馬サクラチヨノオーが勝ちましたが、その後は基本的に関西馬の時代が長く続いて現在に至った訳です。
この時、希代の人気馬オグリキャップが現れたのと時を同じくして天才ジョッキー武豊が現れたんですね。
やはり関西の隆盛は武豊と共にあったと言っても過言ではないのかもしれません。
彼はそういう星の元に生まれてきたのだと思います。
残念ながら福永ジョッキーには武ほどのカリスマ性はありません。
かつて天馬トウショウボーイがダービーも圧倒的人気でそれこそ勝利に向かって驀進していたその時にクライムカイザーが外から強引に馬体を合わせて一気にだしぬけをくらわせた加賀武見とまでは言いませんが、勝利への執念という観点から見た場合、物足りなさを覚えるのはどうしてなのでしょう。
さてドゥラメンテは3冠を目指すのでしょうか。
それとも凱旋門に向かうのでしょうか。
菊花賞がその特殊な距離によりさほど意義を持たなくなってきた現代。
3冠という値打ちも昔ほどではなくなってしまうのでしょうか。
果してノーザンと堀調教師の結論は・・・。