仕事以外全部趣味
競馬を見だして、かれこれ50年以上。
競馬を知るきっかけはタニノムーティエだ。
これだけ長く競馬を見ていると記憶に残るレースは数多い。
今でこそ関西馬が関東馬に対して優位な時代だが(最近は関東馬も勢いが戻ってきた)1988年までは、圧倒的に関東馬が強かった。
競馬に関西も関東もないが、当時は騎手の交流はほとんどなかったし、8大競争とそのトライアル以外は競走馬の交流もなかった時代だ。
今回はそんな時代のお話。
残念ながらYouTubeの映像が見つからず、文章だけとなる。
当時どれだけ関東馬が関西馬を圧倒していたかを、1975年から1987年迄13年間の皐月賞、ダービー、天皇賞春の勝利数で検証する。
圧倒的である。
それでもこの1988年の少し前から、関西馬にも活きの良い馬が登場し始める。
それらが一堂に会したのが、この1988年のサンケイ大阪杯だった。
少しくどくなるが出走馬を羅列する。
勝ったのはフレッシュボイス(何と爽やかで響きの良い名前)。
安田記念GⅠをはじめとしてGⅡ1勝、GⅢ2勝。
2着ランドヒリュウが高松宮杯GⅡ(当時)に、GⅢ1勝、ダービー4着。
3着トウショウレオがGⅢ3勝。
4着ゴールドシチーは重賞こそ阪神3歳S(GⅠ)1勝だが、皐月賞、菊花賞2着、ダービー4着。
5着スピードヒーローもGⅡ、GⅢを各1勝。
着外の馬にも、菊花賞、有馬記念を制したメジロデュレン、桜花賞、オークス馬のマックスビューティ、神戸新聞杯、京都新聞杯を連勝して菊花賞で2番人気になったタケノコマヨシ。
このように、当時の古馬関西馬オールスター戦の趣きだったのだ。
当時新聞の馬柱を見て、おー!凄いメンバーが揃ったと思ったのを今でも覚えている。
映像が無いのが残念だが、1着フレッシュボイスから7着メジロデュレン迄の着差が、
1/2馬身、クビ、1/2馬身、1/2馬身、3/4馬身、1/2馬身という激戦。
メンバーだけでなく、レースも見応えのある内容だったので、とても満足だった。
私は1988年4月3日に行われた、このサンケイ大阪杯が関西馬逆襲のきっかけになったと心底思っている。
先ほどと同様に、1988年から2000年迄13年間の皐月賞、ダービー、天皇賞春の勝利数を見ると。
全く逆転してしまった。
様変わりだ。
これだけはっきりと勢力図が変わった原因はいくつか挙げられるだろうが、最も有力な説は1985年栗東トレセンに作られた坂路コース。
栗東トレセンは元々丘陵地帯にあって、自然の地形をそのまま坂路に利用出来た。
各調教師が試行錯誤を繰り返し、坂路による調教を確立していったことで、1988年頃から一気に花開いたと考えられるのだ。
そのブレイクスルーとなったのが1988年のサンケイ大阪杯。
そういう意味では歴史的なレースだったと言える。
フレッシュボイス 26戦 7・2・2・15