仕事以外全部趣味
競馬を見だして、かれこれ50年以上。
競馬を知るきっかけはタニノムーティエだ。
これだけ長く競馬を見ていると記憶に残るレースは数多い。
今回はお正月の風物詩「金杯」。
私なんぞは金杯で完敗がほとんどだったが(笑)
同年天皇賞秋でオグリキャップと世紀の対決を繰り広げることになるが、この時点ではまだ上り馬の印象でしかなかった。
当時はまだ関東馬が圧倒的に強い時代だった。
今でこそ西も東もないが、当時は8大競争と、そのトライアルでしか東西の競走馬が相まみえることはほとんどなく、周囲を含めて東西のライバル意識は相当なものだった。
しかしこの頃、関西に古馬でタマモクロス、3歳牡馬でオグリキャップや、ヤエノムテキ、スーパークリーク、サッカーボーイ、ディクターランド、3歳牝馬でアラホウトク、シヨノロマン、パッシングショットなどが現れる。
後に長く続く西高東低への潮目が変わる時期ではあったのだ。
タマモクロスは3歳時(馬齢は現在の表記)主にダートを使われたが結果が出ず。
ここで芝に戦いの場を変更するが、これがタマモクロスの運命を変えた。
芝転向後、平場と同条件の特別を続けて圧勝。
初めて重賞挑戦となった暮れの鳴尾記念を、これまた圧勝し一躍注目を浴びる。
明けて4歳初戦が今回記事にした京都金杯だ。
16頭立てで行われたこのレース。
芝転向後圧勝を続けるタマモクロスは1番人気に支持された。
そのレースはいつもように貼付け可能なYouTubeからご覧いただきたい。
最内からだったので目立たないが、1頭だけ脚色が違った。
2着との差は3/4馬身だったが、着差以上の強さを見せつけた。
タマモクロスはこの後、阪神大賞典、天皇賞春、宝塚記念をぶっこぬき7連勝。
夏を休養し、ぶっつけで挑んだ天皇賞秋で、笠松時代から14連勝中の怪物オグリキャップとの対決が実現したのだ。
この世紀の対決をタマモクロスが制し、史上初の天皇賞春秋連覇を成し遂げた。
続くジャパンカップを2着とし、迎えた有馬記念でオグリキャップと2度目の対決。
当日の人気もタマモクロスが1番人気だったが、オグリに1/2馬身及ばず2着。
ジャパンカップに続き2着惜敗だったが、それまでのレースを評価されて、同年年度代表馬に選出。
まだまだ走れる状態だったが、惜しまれつつ有馬記念を最後に引退したのだった。
タマモクロス 18戦 9・3・2・4
主な勝ち鞍 天皇賞・春・秋 宝塚記念、阪神大賞典、鳴尾記念、金杯