仕事以外全部趣味
競馬を見だして、かれこれ50年以上。
これだけ長く競馬を見ていると記憶に残るレースは数多い。
今回は1993年ジュベナイルフィリーズ(当時は阪神3歳牝馬ステークス)。
混合と言っても、勝ったのはほとんど牡馬。
今と違って牡馬と牝馬には明確に力の差があった。
レース体系の整備で1991年に牝馬限定の阪神3歳牝馬ステークスとなり、2001年に現在のジュベナイルフィリーズと舌を嚙みそうなレース名になった。
当時外国産馬は8大競争への出走に厳しい制限がかけられていた。
クラシックレースや天皇賞には出走出来なかったのだ。
今ではクラシックどころか、重賞レースは全て出走可能になっており時代を感じる。
ヒシアマゾンはとにかく強かった。
名は体を表すと言うが、ヒシアマゾンとはよくぞ名付けたと思う。
そんなヒシアマゾンだが、新馬を勝ち上がった後、特別、重賞を2着と取りこぼす。
そのためか、当日は2番人気に甘んじる。
しかしレースが始まってみると・・・。
これがとてつもなく強かった。
例によって貼付け可能なYouTubeから。
2着以下に5馬身差をつけて圧勝。
明けて4歳(当時の馬齢表記)ヒシアマゾンは絶頂期を迎える。
初戦の京成杯2着の後、怒涛の進撃。
外国産馬出走可能な重賞を5連勝して、出走制限がなかったエリザベス女王杯に出走。
当時、まだ秋華賞はなく、エリザベス女王杯は牝馬3冠最後のレースとして位置づけられていた。
同年桜花賞馬オグリローマン、オークス馬チョウカイキャロルも出走する中、優勝。
重賞6連勝とし、4歳最強牝馬の名声を確たるものとした。
同年有馬記念では意外にも6番人気の低評価だったが3冠馬ナリタブライアンの2着。
その後もヒシアマゾンは走り続ける。
5歳時もGⅡ2レースを制覇し、ジャパンカップでは日本所属馬再先着の2着。
そこで燃え尽きたのか、その後は掲示板に乗るのが精一杯となり、3年連続出走となった6歳時の有馬記念を最後にターフを去った。
タラレバは禁物だが、もし出走制限がなけらば3冠牝馬になった可能性が高いと思う。
ヒシアマゾン 20戦10・5・0・5 重賞9勝