仕事以外全部趣味
競馬を見だして、かれこれ50年以上。
競馬を知るきっかけはタニノムーティエだ。
馬券を買える年齢ではなかったが、日曜日のテレビ中継は欠かさず見ていた。
馬券を買いだしたのは社会人になってからで最初は名前で買う馬を決めていた。
その後いわゆるケントク買いにハマった時期もあった。
高本方式の全盛期だ。
2~3冊本を買った(今も捨てずに持っている)。
セミナーにも参加したことがある(笑)。
いまとなっては良い思い出だ。
これだけ長く競馬を見ていると記憶に残るレースは数多い。
今回は1992年エリザベス女王杯。
現在エリザベス女王杯は4歳以上牝馬が出走可能の2200mのレースだが、当時は、秋華賞が出来る前で、牝馬3冠の最終戦として2400mで行われていた。
この年の出走馬は、桜花賞馬ニシノフラワー、オークス馬アドラーブルや当時過酷なローテーションで大きな問題となったサンエイサンキュー等々。
そんな中、タケノベルベットは17番人気(18頭立)。
ほとんど期待されていなかった。
それもそのはずで、新馬こそ勝ち上がったが、以後オープンを勝てず降級
しかし、条件特別を連勝し、GⅡ中日4歳ステークスに出走。
ここを7着と敗れたことで、ファンはタケノベルベットを見放した。
それは、次戦、果敢に挑戦したエリザベス女王杯でのブービー人気が示している。
ところが、敢然とこのタケノベルベットに本命を打った男が居た。
当時サンスポに競馬予想のコラムを執筆していた植島氏はタケノベルベットを本命。
毎週面白く読んでいた私だが、予想は独自の(高本方式(^^;))方法で決めており、あくまで読み物として楽しんでいたに過ぎなかった。
で結果は・・・。
タケノベルベットの完勝。
馬連は70,470円もついた。
馬連70,470円は衝撃だった。
植島氏の名はタケノベルベットと共に、アッと言う間に競馬ファンの間に轟いたのだ。
エリザベス女王杯を勝ったタケノベルベットは、長距離特性を活かし、同年鳴尾記念に出走。
紅一点だったタケノベルベットは見事勝利して天皇賞を目指すことになる。
明けて日経新春杯、阪神大賞典と、牡馬の一線級に交じって3着、2着と好成績。
迎えた天皇賞はライスシャワー、メジロマックイーン、メジロパーマー、マチカネタンホイザ、イクノディクタス等の強豪に交じって5番人気と評価を得たが10着に終わり、このレースを最後に引退した。
結局GⅠ、GⅡを各1勝ずつに終わったが、私はエリザベス女王杯と言えば、タケノベルベット・・・を反射的に思い出すのだ。
戦績 11戦5・1・2・3