競馬を見だして、かれこれ50年以上。
ブログで幾度か書いているが競馬を知るきっかけはタニノムーティエだ。
もちろん馬券を買える年齢ではなかったが、日曜日のテレビ中継を欠かさず見ていた。
馬券を買いだしたのは社会人になってからで最初は名前で買う馬を決めていた。
その後いわゆるケントク買いにハマった時期もあった。
高本方式の全盛期だ。
2~3冊本を買った(今も捨てずに持っている)。
セミナーにも参加したことがある(笑)。
いまとなっては良い思い出だ。
これだけ長く競馬を見ていると記憶に残るレースは数多い。
今回は第2回。
1997年天皇賞・秋。
エアグルーブが牝馬として17年ぶりに天皇賞を制覇したレースだ。
1950年代こそ牝馬も秋の天皇賞を勝っていたが(春は牝馬優勝は1頭のみ)当時は牡馬の壁は厚かった。
ダービーを制覇して天皇賞・秋も勝ったウォッカの登場は11年後のこと。
ウォッカ以降はダイワスカーレット、ブエナビスタ、ジェンティルドンナ、リスグラシュー、アーモンドアイ、クロノジェネシス、グランアレグリアなど幾多の名牝が出現しているが、エアグルーブが勝った当時はまだ完全に牡馬優勢の時代だった。
そんな時代の天皇賞・秋。
前年の天皇賞・秋を戦後初の3歳で制覇したバブルガムフェローが1番人気。
前年の優駿牝馬でダイナカールと親子制覇を成し遂げた女傑エアグルーブが2番人気。
このレースはいろいろな意味で強烈な印象を残している。
エアグルーブとバブルガムフェローのゴール前の馬体を併せての激しい叩きあいは火花が散ると言う表現がピッタリ。
この叩きあいを制したのが牝馬のエアグルーブだったことの驚き。
それと忘れてはならないのが、このレース、本格化直前のサイレンススズカが大逃げを打っているのだ。
見せ場十分の逃げで、サイレンススズカの大逃げがこのレースを更に印象深い物にしたと言って過言ではない。
まさか1年後の天皇賞・秋で悲劇が起ころうとは誰も想像していなかっただろう。
そんな1997年天皇賞・秋。
やはりYouTubeには何本か投稿されていたが、結局フジの実況版が最も当時の記憶を思い起こさせてくれるのでこれにさせてもらった。
実況は多分大川アナウンサー。
違っていたら申し訳ない。
このレース後バブルガムフェローはジャパンカップに参戦するが3着。
ジャパンカップでもエアグルーブ(2着)に敗れ引退となった。
私はバブルガムフェローが牝馬のエアグルーブに力負けして精神的にショックを受けたことが引退につながったと今でも思っている。
エアグルーブはジャパンカップの後有馬記念にも出走し3着に敗れたが、この年の年度代表馬に選出。
翌年も走り続けたが不運も重なりGⅡを2勝するもGⅠは惜しくも勝てず有馬記念を最後に引退となった。
引退後は繁殖牝馬となり、エリザベス女王敗を制覇したアドマイヤグルーブを出産。
そのアドマイヤグルーブからドゥラメンテが生まれ、ドゥラメンテからは多くの名馬が生まれた。
競馬がブラッドスポーツと呼ばれているひとつの例である。
エアグルーブ 19戦 9・5・3・2
バブルガムフェロー 13戦 7・2・3・1