藤井5段が29連勝に続くエポックなことをやってのけました。
朝日杯で並み居る強豪を撃破して史上最年少棋戦優勝。
加藤ひふみんの記録を4カ月更新する大記録です。
それにしても、ここでも加藤の名前が出てきますが、今はすっかりバラエティーに欠かせぬ人物となったあのひふみんが如何にすごい棋士だったかが改めてわかりますね。
この朝日杯で対戦した相手がすごい。
破った相手が佐藤天彦現名人、羽生善治永世7冠、そして決勝は広瀬王位経験者。
全員現A級で戦う、つわものです。
決勝相手の広瀬もこの朝日杯で、菅井王位、渡辺明棋王、久保王将と現タイトル保持者3人を破って決勝に進んできた訳で、午前中に難敵羽生に勝って、少しモチベーションが下がっても不思議ではないのに、昼から広瀬8段に対して勝ち切るところに藤井の凄さが現れています。
こういったチャンスを物にするかしないかで、その後の人生が大きく変わります。
スポーツ界でもあと一歩まで行って結果優勝できなかった選手は多いですが、けっこうそのチャンスを掴み取れたかどうかは大きな分かれ目だったりします。
朝日杯優勝で規定により6段昇格。
5段昇格が2月1日だったので僅か16日で6段昇格。
プレバトの昇格よりも早い昇段にはもうびっくりぽんです。
藤井が今後狙う最年少記録は
まずはタイトル獲得で、現記録は屋敷伸之9段が棋聖獲得時の18歳6か月。
藤井は現在15歳6か月なのでこれはもう時間の問題ではないでしょうか。
普通なら簡単に時間の問題とは書けないほど将棋は難しい物ですが、こと藤井に至っては難なく通過してしまうのではと思えてしまいます。
それどころか谷川浩司9段の持つ史上最年少名人21歳2カ月さえも破ってしまうのではと感じさせるほどの強さをすでに見せています。
名人戦挑戦への絶対条件であるA級昇格をいつ果たすか。
昨年順位戦デビューC級2組を1年で通過。
順調に昇格すると18歳8カ月にはA級棋士となり、谷川9段の記録を破るのに2年の猶予が生まれる訳です。(計算間違っていませんよね?)
ちなみに谷川はC級2組(当時リーグ戦4組と呼称)の通過に2年かかっており、羽生でさえもC級2組、C級1組、B級2組を通過するのにそれぞれ2年ずつかかりました。
それほどに難しいチャレンジとなる訳ではあります。
この18歳A級は、何とこれまた加藤ひふみん以来となるはずで、ひふみんは連続で昇格しており、ほんと凄いと、またしても思ってしまうわけであります。
羽生の7冠制覇は25歳当時で、少なくとも名人獲得可能年齢以降でないと不可能なわけで、藤井6段への世間の期待はこの7冠(現在は叡王戦含めて8冠)制覇になってくると思われ、さらに永世7冠への期待も高まってくる訳ですが、藤井6段ならやってのけるのではと・・・それほど底知れぬ奥深さを持った棋士と言えるでしょう。
(現在、叡王戦は永世規定がありません。)
羽生竜王も第一人者としてまだまだ君臨しており、公式戦とはいえタイトル戦ではないので、藤井が過去戦った2局からどこまで成長しているのか、今後の対戦のために研究半分で指したことも考えられ、年の差32ありますが、今後タイトル戦で戦うことがあれば、大げさに言えば命を懸けるほどの激しい対局になるのではと想像してしまいます。
最後に過去の永世名人の称号を保持している棋士に名を記させていただきます。
14世名人 木村義男 名人獲得年齢33歳 永世資格保持時年齢41歳
15世名人 大山康晴 名人獲得年齢29歳 永世資格保持時年齢33歳
16世名人 中原 誠 名人獲得年齢25歳 永世資格保持時年齢29歳
17世名人 谷川浩司 名人獲得年齢21歳 永世資格保持時年齢35歳
18世名人 森内俊之 名人獲得年齢32歳 永世資格保持時年齢36歳
19世名人 羽生善治 名人獲得年齢24歳 永世資格保持時年齢37歳
永世名人の称号を得るには名人位通算5期が必要で、14世以降木村から大山までが10年かかっており、以下大山から中原までが20年、中原から谷川まで21年、谷川から森内まで10年、森内から羽生は1年となっています。
森内と羽生は同世代で羽生世代と呼ばれていますが、同じ世代では佐藤康光9段(永世棋聖)丸山忠久9段も名人位を獲得しており、最強世代と言われた所以です。
世代交代なったのはようやく一昨年の佐藤天彦名人までかかりました。
1994年羽生が名人位についてから、谷川9段が1度返り咲きを果たしている以外は全て羽生世代が独占していたことになります。
羽生世代が長く将棋界に君臨しており、下の世代はその壁を越える棋士が久保王将などごく限られていましたが、ここにきて渡辺、広瀬、佐藤、糸谷、菅井、中村、など20~30代前半の棋士が棋戦に登場しタイトルを獲得するようになってきました。
羽生永世7冠が永世名人の資格を取ってから10年。
ようやく訪れようとしている世代交代の波。
そう考えると、藤井の登場は時代の流れからして必然だったのでしょうね。