影無茶のスポーツ24/7

スポーツ好き熟年おやじのブログ

JRA思い出の名レース 昭和47年中山大障害・春

スポーツ界は新型コロナの影響で軒並み中止か延期。

テレビもドラマ、バラエティ共に収録不可で過去の放送をオンエアしている状況。

この拙ブログはスポーツ中心だが、この状況下では思うように更新できない。

そこで私もスポーツ界の過去の名勝負について、記憶を掘り起こしながら記させていただこうと思った次第だ。

但し、記憶があいまいな部分はHP上に発表されているデータで補完させていただく。

今日は中央競馬から。

無観客ではあるが幸い競馬は毎週開催され、見応えあるレースが繰り広げられている。

本日紹介させていただくのは昭和47年中山大障害・春。

私が初めて中山大障害を見たのが(テレビでだが)このレース。

開催日は記録によると6月4日。

前年暮れに発生した馬インフルエンザの影響で大幅に日程が後ろにずれ込んだ年だ。

注目されていたのは関西馬ダテハクタカ。

平地でも堂々たるオープン馬で天皇賞菊花賞で好走し阪神大賞典を勝っている。

当時は平地オープン馬が障害に降りてくる(という表現をあえて使う)馬はいなかったと記憶している。

障害に入って秘めた才能が開花。

重賞の阪神障害ステークスに勝って中山大障害目指して東上。

前哨戦のオープンを勝って無傷の4連勝。

本番当日断然の1番人気だったが、何者かがダテハクタカに化学薬品を投げて目にかかり、出走取消という競馬史上に残る大事件が起こる。

今考えたら公正競馬が出来ない状況なので中止でもおかしくなかったと思うが・・・。

代わって1番人気になったのがこれも関西馬インターヒカリ。

障害戦績20戦(14・3・1・2)

阪神障害ステークス、京都大障害秋・春連覇。

平地成績が16戦(5・1・1・9)だったので、

成績を見れば障害に入り水を得た魚状態だった。

ただ、中山大障害は一度使って大竹柵で落馬していた。

レースが始まったが、初めて中山大障害を見た私がまず驚いたのがバンケットと言われる坂を下がって上るコース。

当時中学生だった私は仰天したのをはっきり記憶している。

何しろ画面から消えるのだ。

その坂を上ってきたところにあるのが大竹柵。

大きな壁となって立ちはだかる大竹柵に何とも言えぬ高揚感を覚えた。

障害を飛越するときのリアルな音声が迫力を増す。

ここでインターヒカリが落馬してしまう。

その瞬間、実況していたフジテレビの赤木アナが(盛山アナだったかもしれない)インターヒカリがまた落ちた・・・と言ったのだ。

後で前回の中山大障害でも落馬していたことを知るのだが・・・。

 

鞍上は故須貝四朗氏。

当時関西3強と謳われたロングエースランドプリンスタイテエム

その中でタイテエムの主戦ジョッキーだった。

引退後は関西テレビの競馬中継で解説を務めていたのが懐かしい。

ゴールドシチージャスタウェイ須貝尚介調教師は甥にあたる。

その須貝ジョッキー。

落馬したインターヒカリに再騎乗し、大きく遅れながらレースに復帰。

8頭立てでダテハクタカ除外による7頭出走。

もう1頭が大竹柵で落馬していたので結果として最後方大きく遅れて6着入線。

大きな拍手に迎えられてゴールしたのが印象に残っている。

インターヒカリの飛越は高く跳ぶのではなくスピード豊かに低く跳ぶ。

それが中山の大竹柵が跳べなかった原因だったんだろう。

勝ったのはナスノセイラン。

中山大障害・春連覇の偉業。

2着はナスノヒエン。

ナスノセイランの弟で姉弟による1着2着であった。

インターヒカリはこのレースを持って引退。

ダテハクタカもその後2戦障害を走ったが輝きは失われており引退。

初めて見た中山大障害コースの凄さとレースの激しさ。

関西2騎の不運。

姉・弟の1・2着。

強烈な印象を植え付けられたレースとして今も時々思い出す。

 

※データ上の補完は「優駿達の軌跡ー競馬データベース」を参照致しました。