毎年フェブラリーステークスの時期が近付くとある競走馬を思いだす。
その名はアスコットエイト。
昭和58~59年頃の事だ。
何しろダートになると圧倒的な強さを見せつけて勝利する。
つけられた愛称が「砂怪物」。
ちょうどこの頃中央競馬はレース体系の整備に乗り出した所で距離別にグレード制の導入が始まった。
ダートについてもこの年からフェブラリーハンデキャップというフェブラリーステークスの前身となるレースが創設された。
正にアスコットエイトの為に創設されたレースだったのだ。
ちょっとググってアスコットエイトの戦績を探しだした。
21戦7勝
特に凄いのが3歳(現在の馬齢表記で)秋以降のダートでの勝利記録。
10月15日京都800万下1800M18頭立て1着(2着との差9馬身)
10月23日桂川特別1800M12頭立て1着(2着との差大差)
菊花賞が21頭立て21着(21着!)、愛知杯(芝)5着と芝を2戦走った後、明けて4歳。
再びダート1月8日北山特別1800M10頭立て1着(2着との差大差)
そして迎えた中日新聞杯GⅢ。
本来芝で開催のレースだが折からの豪雪により1700Mダートに変更。
アスコットエイトにとっては奇跡的なお膳立てである。
当然の1番人気。
結果はレコードで1着(2着との差大差)
当時のレースを覚えているが、1頭だけが異次元のレースをしている感じで記録的大差で逃げ切ったのだ。
そして迎えた第1回フェブラリーハンデキャップ(当時はGⅢ)。
当然1番人気。
どれだけ離して勝つのか。
期待に胸ふくらませてテレビの前に陣取った。
結果は。
ロバリアアモンの2着。
何か大切な物を失ったような感じで呆然とした自分がいた。
その後仁川ステークスを勝って、それが最後の勝利となった。
以後3戦未勝利で引退。
アスコットエイト。
中日新聞杯で運を使い果たしてしまったのだろうか。
それでもぶっちぎりで勝利するその姿は今でも強烈な印象として脳裏に刻まれている。
特にこの季節になると・・・。