今日は日経新春杯が行われました。
この時期必ず思い出すのがテンポイントの悲劇。
テンポイントの経歴はご存知の人が多いと思うのでここでは触れません。
言えるのは名馬という枠を超えた記録にも記憶にも永遠に残る存在だったということ。
テンポイントは4歳(現表記)に大きく成長し、有馬記念で宿敵トウショウボーイとのマッチレースに勝利。
海外遠征が決まり壮行レースとして出走したのが、雪の日経新春杯だったのです。
当時もハンデ戦で、テンポイントに与えられたハンデは実に66.5kg。
何故こんな酷量で出走したのか。
後悔先に立たず・・・。
レース翌日、昭和53年1月23日(月曜日)の新聞です。
本当なら予後不良。
即安楽死の処置がとられても不思議でない大怪我でした。
それでも上記写真の見出しにあるように大手術が行われました。
それから毎日、テンポイントの闘病記が新聞に掲載されるようになりました。
一時はヤマ場を越してもう大丈夫という記事も乗りました。
しかし・・・
ついに蹄葉炎を発症し闘病42日テンポイントは星になったのです。
上の写真は昭和53年3月6日の新聞です。
テンポイントの闘病は社会現象になりました。
葬儀が行われ全国各地から多くのファンが集まりました。
久しぶりに当時の新聞を取り出しました。
もう40年も経ったんですね。
この闘病は結局テンポイントを苦しめただけではないか・・・。
当時そういった議論が交わされました。
私にはわかりません。
当時はとにかく元気になってくれ。
それだけを願っていました。
多くの競馬ファンもそう思っていたことでしょう。
結局その願いは叶いませんでした。
しかし私の心の中ではテンポイントの雄姿がはっきりと見えます。
多くのファンの心の中でテンポイントは生きているのです。
今日の日経新春杯。
全馬無事で走り切ったこと。
何より私はそれが嬉しくてたまりません。
主な重賞 阪神3歳S、東京4歳S、スプリングS、京都記念、鳴尾記念、