以前、私的競走馬名のベスト5を投稿させていただいた。
1位に輝いた(?)のはロングワンという名前の馬。
最近はロングの冠馬を見ることは無いが、その昔ロング勢は結構な勢力を誇っていた。
ロングエースはダービー馬に輝いたし、ロンググレイスは女王杯を制した。
ロングヒエンやロングハヤブサ、ロングシンホニーなど印象に残る馬も多い。
今日振り返るのは同期のロング冠馬2騎。
ロングホークとロングファストだ。
3歳クラシック戦線はもちろん、古馬になっても走り続けたこの2頭。
青色の胴、桃色の袖に紫2本の輪。
美しい勝負服の2頭が先頭集団でゴール版を目指す姿は印象的だった。
この2頭の成績は
〇ロングホーク 32戦13・7・6・6
皐月賞2着、ダービー6着、菊花賞5着、天皇賞春2着、秋3着、宝塚記念2着。
スプリングS、朝日チャレンジC、阪神大賞典、日経新春杯、大阪杯の5重賞優勝。
〇ロングファスト 34戦8・4・3・19
皐月賞4着、ダービー2着、菊花賞2着、重賞はスワンSのみだが1年の休養を挟んで7歳時に2勝を上積みして引退している。
どちらも長きにわたり活躍。
デビューは共に1974年6月30日、札幌での2歳新馬戦。
共に初戦を勝ちあがり、クラシック戦線から翌年宝塚記念までの、今でいうGⅠ戦線では同じ勝負服がコース上でよく映えた。
こうして改めて両馬の成績を見ると、どちらか1頭でもクラシックの栄冠を掴んで欲しかったとの思いが沸き起こる。
同世代に稀代の怪物カブラヤオーさえいなければ・・・。
カブラヤオーのことは以前スポーツナビ時代に投稿したがとんでもなく強かった。
さて、ロングホークとロングファスト。
ダービー馬ロングエースの父ハードリドンと母エスタブリッシュメントの間で生まれた子がロングホーク。
そしてロングエースの母ウィンジェストに父フォルティノをかけあわせたのがロングファストだ。
ウィンジェストはロングワンの母でもありロングエースの母でもある。
ロング一族ゆかりの血統だ。
そんな両ロング。
上記の成績を見てもお分かりいただけると思うがGⅠ惜敗の連続。
特にロングホークは古馬になっても惜しいところで栄冠を逃している。
ちょっと勝ち味に遅いタイプだったのが惜しまれる。
しかしそんなロングホークが輝いた時期があった。
きっかけは3歳暮れに参戦した阪神大賞典(当時は年末に行われていた)
この時の大逃げは凄まじかった。
それまで私はパッシングゴールが府中3200を逃げて逃げて逃げまくり、最後ヤマニンウエーブに差された天皇賞秋(当時は秋も3200)が大逃げレースとして印象深かったが、なんのなんの、ロングホークの阪神大賞典は度肝を抜かされる超大逃げ。
当時高校生だったが、見て興奮したのを今でも思い出すことが出来る。
印象的には2番手以下が向う正面を走っているのにホークはもう1週目の4コーナーを回って直線に向いていた・・・。
そんな感じなのだ。
だが残念なことに映像が残っていない。
もう一度見て確かめたいが・・・。
後になってプリティキャストが逃げ切った天皇賞秋も強烈だったが(その映像は今も見ることが出来る)、ホークはもっと2番手に差をつけて逃げていたはずだ。
競争生活の中で最もチャンスだったが、そうは問屋がなんとやら。
優勝したのはあの有名な、きまぐれジョージことエリモジョージ。
福永祐一ジョッキーの父で天才ジョッキーと言われた福永洋一氏が騎乗していた。
とにかくムラ駆け(笑)
44戦で10勝しているが2着は僅かに1回(しかも新馬戦)
平気で掲示板を外すこと多数。
そのエリモジョージが3200を逃げ切った時の2着がロングホークだった。
こういった競走馬を運がないとよく言われるが、ロングホークは最後まで競争生活を満喫していたのではないだろうか。
少なくとも私はそう思いたい。
数ある競走馬の中で私個人的には、上位に位置する印象深い馬だ。
ロングファストはホーク以上に、クラシックホースに近づいた馬だ。
驚いたのは血統的に難しいと思われた菊花賞で2着にきたこと。
ダービーにしてもやや長かったように思う。
カブラヤオーの逃げでペースを狂わす馬も多かったとは思うが、よく頑張った。
ロングファストは先述したように1年のブランクはあった物の7歳になって2勝。
引退後種牡馬になってある程度の成功をおさめている。
この両ロングが競馬場を走る姿を振り返る時、
同じ勝負服の馬同士がお互いに激励しあいながらレースに臨んでいる・・・
当時そういう印象を持ちながらレースを見ていたことを思い出すのだ。
※データ上の補完は「優駿達の軌跡ー競馬データベース」を参照致しました。
※馬齢は現在の表記で示しています。