競馬を見だして、かれこれ50年以上。
ブログで幾度か書いているが競馬を知るきっかけはタニノムーティエだ。
もちろん馬券を買える年齢ではなかったが、日曜日のテレビ中継を欠かさず見ていた。
馬券を買いだしたのは社会人になってからで最初は名前で買う馬を決めていた。
その後いわゆるケントク買いにハマった時期もあった。
高本方式の全盛期だ。
2~3冊本を買った(今も捨てずに持っている)。
セミナーにも参加したことがある(笑)。
いまとなっては良い思い出だ。
これだけ長く競馬を見ていると記憶に残るレースは数多い。
先日Johnnyさんのブログに、思いでのレースという新しいコーナーが立ち上がって、プリティキャストの大逃げレースが紹介されていた。
私は逃げ馬が大好きで、おー!そうきたか!と思わずポン!っと手で膝を叩いた。
他にも思い出のレースを投稿されているブロガーさんがおられ、気がつけば拝見しており、とても懐かしい気持ちにさせてもらっている。
そこで・・・だ。
私も記憶に残るレースを時折ここにアップさせていただこうと思った次第で・・・(^^;)
完全なパクリである。
誠に節操がないがお許しいただきたい。
でもって、記念すべき?第1回はやはりタニノムーティエで行こうと思う。
当時は今と違って関西、関東がお互いにライバル心むき出しで、それは競馬関係者のみならず、放送局、競馬ファンの間でもその意識が強かったと思う。
当時はクラシック目指して関東に遠征してきて初めて関西馬を目の当たりにするファンも多く、タニノムーティエって本当に強いの?って思った関東の競馬ファンは多かっただろう。
タニノムーティエは東上までに10戦8・1・0・1。
東上初戦の弥生賞を圧勝し、次戦スプリングステークスで関東の大将アローエクスプレスと両雄相まみえる。
迎え撃つアローエクスプレスはデビューから6連勝。
しかし初対戦となったスプリングステークスでアローエクスプレスはタニノムーティエに初めて土をつけられた。
そして迎えた皐月賞。
距離にやや不安が残るアローエクスプレスだったが柴田政人ジョッキーから加賀武見ジョッキーに乗り替わって一発逆転を狙った。
そのレースはYouTubeに何本か投稿されており、貼り付け可能な内から1本選んだ。
それがこれ。
おそらくフジテレビの中継版と思われる。
間違っていたら申し訳ないが、アナウンサーは鳥居アナではないだろうか。
この後タニノムーティエはNHK杯でアローエクスプレスと三度顔を合わせ、初めてアローに敗れダービーの1番人気をアローエクスプレスに譲った。
しかし元々アローエクスプレスには距離が長いと言われていたこともあってか、ダービーはタニノムーティエが勝って2冠に輝く。
3冠を狙って秋を迎えたタニノムーティエだが、酷使(ダービーが実に15戦目!)がたたったのか喉なりを発症。
3冠目指した菊花賞で16頭立て11着に敗れそのレースを最後に引退したのだ。
首を低くして走る独特なフォームで古馬になってから圧倒的な強さを誇った。
兄ムーティエが早熟で弟チカラは大器晩成。
正に競馬はロマンなのだ。
タニノムーティエ 18戦12・2・0・4
アローエクスプレス 14戦 7・3・0・4