影無茶のスポーツトゥエンティフォー・セブン

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JRA思い出のレース 1974年皐月賞 キタノカチドキ 史上初の短枠指定馬

仕事以外全部趣味

競馬を見だして、かれこれ50年以上。

競馬を知るきっかけはタニノムーティエだ。

これだけ長く競馬を見ていると記憶に残るレースは数多い。

 

今回は1974年皐月賞

皐月賞は、昔、私の一番好きなレースだった。

幾度か述べたことがあるが、当時は関西馬関東馬の交流はほとんどなく、2歳(現在の馬齢表記)チャンピオン決定戦も東西別々に行われていた。

明けて3歳、東西の一線級の全てが初めて顔を合わせるのが、クラシック1冠目の皐月賞ということになるのだ。

関西に住んでいた私は、自然と関西馬を応援していた(馬券は当然買えない)。

今はもう関西も関東もない気持ちになってはいるが、当時は関西で強い馬が東上して、勝てるかどうかは大きな注目ポイントだった。

その結果が示されるのが、正に皐月賞なのだ。

前年、ハイセイコーの登場で世は空前の競馬ブーム。

その翌年にキタノカチドキは登場した。

キタノカチドキは私が3本の指に入れる好きな馬。

栗東服部厩舎所属で主戦が武邦彦騎手。

あの武豊騎手のお父さんだ。

当時武邦彦騎手はクラシックレースを勝てないのが競馬界の七不思議と言われていた。しかし前々年にアチーブスターで桜花賞制覇。

その後ロングエースでダービー、タケホープ菊花賞を制覇するなど正に上り調子。

当然最初からクラシックを目標にされていた。

期待通り、新馬、デイリー杯、オープン、阪神3歳S、きさらぎ賞と無傷の5連勝。

東上初戦のスプリングS関東馬と初顔合わせ。

そこで勝つには勝ったが辛勝に見えた。

私の記憶が確かなら、このレースぶりに評価は真っ二つになった。

さらには厩務員のストが長引き、当初予定より開催が伸び、さらに競馬場も中山から府中になるという異常な状況。

そんな中迎えた皐月賞

最大のライバル、関東馬カーネルシンボリ(この時点で8戦7勝)が骨折で回避。

圧倒的な人気が予想されたため、キタノカチドキは史上初の単枠指定馬となった。

異様な雰囲気となった皐月賞

レースは府中でよく見られる大逃げを打ってくる馬が居て・・・。

例によって視聴可能なYouTubeから。

 


www.youtube.com

 

強かった!

馬の能力を信じているからこその騎乗。

横綱相撲の勝ちっぷりだった。

翌日の新聞には、前年のハイセイコーが怪物と言われていたのに対し「新怪物」と見出しを打ったスポーツ紙もあった。

当時、この勝利を見届けて、私は嬉しさのあまり自転車に乗って、キタノカチドキに乗ったつもりで街を走ったことを思い出す(変な少年(;^_^A)。

ダービーでも単枠指定となったが、いれ込みが激しく、3着に敗れる。

夏を休養し、秋に再スタート。

当時は夏の過ごし方を失敗する馬も多かったが、キタノカチドキ神戸新聞京都新聞杯を連勝し、菊花賞では断然の1番人気。

血統的に距離限界説もあったが、武騎手の絶妙な騎乗もあって1着。

ここまでで11戦10勝という圧倒的な戦績。

ダービーの敗戦が残念でならない。

明けて4歳初戦のオープンで63キロの負担重量、重馬場の二重苦で2着。

そして迎えるマイラーズカップで夢の顔合わせが実現した。

タニノチカラとイットーとの対戦だ。

ここでキタノカチドキは初めて3番人気の屈辱。

しかし、勝ったのはキタノカチドキだった!

このレースも忘れられない。

続いて出走した天皇賞春は2着。

距離の壁が露呈したと言われる。

脚部不安で休養に入るがファン投票選出で出走した有馬記念がいいところなく8着。

これを最後に引退して種牡馬入りとなった。

終わってみれば、今でいうGⅠレースは阪神3歳S、皐月賞菊花賞のみだったが、間違いなく競馬ファンに長く記憶に残る名馬だったと言えるだろう。

 

戦績15戦 11・2・1・1

 

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