影無茶のスポーツトゥエンティフォー・セブン

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JRA思い出のレース 1982年弥生賞 サルノキング 幻のダービー馬

仕事以外全部趣味

競馬を見だして、かれこれ50年以上。

競馬を知るきっかけはタニノムーティエだ。

これだけ長く競馬を見ていると記憶に残るレースは数多い。

 

今回は弥生賞

私が毎日王冠と共に、個人的に好きなGⅡレースだ。

今でこそ、ホープフルSや共同通信杯がクラシックに直結するレースとなっているが、ひと昔前までは、弥生賞が断トツでその役割を担っていた。

特に関西馬にとって、弥生賞を勝つことはダービー制覇を約束されたも同然だった。

ダンスインザダークまでは、弥生賞を勝った関西馬がダービーに出走すると必ず優勝。

そういう時代があった。

キーストン、タニノムーティエロングエース、ウィニングチケット達だ。

ダンスインザダークも奇跡の馬フサイチコンコルドの2着と連は外さず。

それ以降もスペシャルウィーク、あのディープインパクトマカヒキたちがダービー馬の称号を得た。

もちろん関東馬にも弥生賞を勝ってダービー馬に輝いた馬は多い。

3冠馬ミスターシービーシンボリルドルフもこのレースを勝った。

そんな中、今回紹介するサルノキングは、ダービーに出走さえしておれば、間違いなく勝っていたと思った逸材だ。

確か540キロ近い馬体は雄大

そんな巨体のサルノキングのレースぶりは豪快そのものだった。

東上初戦の東京4歳ステークス(現共同通信杯)を圧勝。

中継のフジテレビ大川アナがサルノキングを「関西から来た凄い奴」と表現している。

そんなサルノキングは当然の如く弥生賞に出走。

貼付け可能なYouTubeからレースをご覧ください(途中から)。

 


www.youtube.com

ここでも強い勝ち方をしたサルノキング

当時のことをよく覚えているが、こんな馬名の競走馬がクラシックに勝てるかな~って思っていたが、その強さは惚れ惚れする程だった。

しかし、今では考えられない弥生賞の後のスプリングSにも出走。

しかもサルノキングと同オーナーが所有する、黄金の馬ハギノカムイオーも出走。

しかもしかも、東上しての2戦、前につけて直線早々に抜け出して勝っていたのに、ここでは最後方からレースを進め、強引に見える、まくりを仕掛けて結果4着。

当時八百長レースと言われて大問題に発展したのだ。

しかもレース中に故障を発生。

結局そのスプリングSが最後のレースとなってしまった。

そりゃ~タラレバは禁物と言うのはわかっているが、サルノキングについては、無事であれば、ダービーを圧勝していたと今でも思っている。

私にとってサルノキングは、間違いなく記録より記憶に残る名馬なのだ。

 

戦績 8戦 6・0・1・1

 

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