影無茶のスポーツトゥエンティフォー・セブン

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JRA思い出のレース 1980年ダービー ダービーだけを勝つために生まれてきたオペックホース

仕事以外全部趣味

※ここに記載する馬齢は全て現在の表記です

競馬を見だして、かれこれ50年以上。

競馬を知るきっかけはタニノムーティエだ。

これだけ長く競馬を見ていると記憶に残るレースは数多い。

 

今回は1980年日本ダービー

生産者、オーナー、調教師、ジョッキー、誰もが一番取りたいと思うレース。

それがダービーであることに異議を唱える者はほぼいないだろう。

同世代の頂点に立つ馬は何かと、見る方も気分が高揚する。

それがダービーだ。

今回はダービーだけを勝つために生まれてきたのではと思う競走馬を取り上げる。

その名はオペックホース

最初に書くと、ダービーを勝って以降32連敗。

史上最弱のダービー馬と呼ばれてしまった競走馬だ。

それでもダービーまでは皐月賞2着で、ダービーも2番人気。

ダービー迄の成績は9戦4・2・1・2と複勝圏内まで広げれば、馬券購入者に少なからず恵みを与えていたのは間違いない。

それなのに、ああそれなのに、ダービー以後の成績は32戦0・2・2・28。

着外28回の内8着以降が15回。

同じ馬とは思えない惨憺たる成績だ。

オペックホースはダービーだけを勝つために生まれてきた馬なのだ。

それでもダービー馬という称号は1世代に1頭だけ。

本当ならこれで一生食べていけるってくらいの栄誉だ。

ダービーで燃え尽きてしまったとしても、それも人生だ、いや馬生?

振り返ると、ダービー前の3走が3走とも不良馬場。

皐月賞は2分10秒3もかかっている。

少なからず疲労は残っていただろう。

それでもって、ダービーは最後の直線、力を振り絞った勝利。

ゴール前届かないと思われたが、モンテプリンスを差し切った。

剛腕郷原洋行ジョッキー渾身の騎乗だった。

これで完全燃焼してしまったのだろう。

確かにダービー以降の成績は史上最弱と言われても仕方がない・

しかし、ダービーで見せたゴール前渾身の差しは、今も私の記憶に鮮明に残っているのだ。

 


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オペックホース 戦績 41戦 4・4・3・30

 

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