仕事以外全部趣味
※ここに記載する馬齢は全て現在の表記です(レース名は当時のまま)
競馬を見だして、かれこれ50年以上。
競馬を知るきっかけはタニノムーティエだ。
これだけ長く競馬を見ていると記憶に残るレースは数多い。
海外の大レースで日本馬の活躍が目立つ。
先日もフォーエバーヤングがブリーダーズカップ・クラシックを制覇。
残る目標は凱旋門賞くらいではないかと思う程だ。
ジャパンカップが創設されたのが1981年。
その頃ははっきり言って日本馬は全く外国馬に歯が立たなかった。
第1回で来日した海外の調教師のひとりは、日本では鹿が走っていると言った。
実際遠征してきたメンバーに超一流馬はいなかった。
しかし優勝したメアジードーツは府中の2400をコースレコードで駆け抜けた。
1着から4着まで外国馬で5着にようやくゴールドスペンサー
そのレースをテレビで見ていた私は、外国馬のド迫力の走りに度肝を抜かれた。
翌年も翌々年も外国馬が優勝。
永遠に日本馬は勝てないのではと思われた・・・がしかし。
第4回に、日本馬はミスターシービー、シンボリルドルフの3冠馬2頭が出走。
最強の布陣を敷いた日本勢から初の優勝馬が出るとの期待が高まった。
結果は確かに日本馬が優勝した。
しかし勝ったのは伏兵も伏兵、10番人気カツラギエースだった。
カツラギエースは逃げて逃げて逃げまくった。
大逃げである。
府中では大逃げがよく決まる。
しかしこんな大きなレースで実際にゴールまで先頭で駆け抜けるのは稀だ。
人気がなかったのも幸いしたのかもしれない。
外国馬陣営もカツラギエースの情報なんて、ほとんどなかっただろう。
確かにカツラギエースは4歳になって充実期を迎えていた。
宝塚記念を含む重賞4勝を上げていたが、直前の天皇賞秋で5着。
そういうこともあって、人気の盲点になっていたと思う。
カツラギエースはスイスイと気持ちよく逃げる。
ジョッキー西浦勝一のピンクの勝負服がグリーンのターフに映える。
このままでは逃げ切られる・・・。
各馬が気付いた時は既に遅かった。
ピンクの勝負服は最後まで汚れることはなかった。
ゴール前詰め寄られたが、1馬身1/2差で日本馬初のジャパンカップ制覇が成ったのだ。
例によって貼付け可能なYouTubeから。
カツラギエースはジャパンカップ優勝後、引退レースとして有馬記念に出走。
ここでも3冠馬2頭シンボリルドルフが1番人気、ミスターシービーが2番人気。
カツラギエースは3番人気に甘んじたが、ここでも再び逃げに逃げた。
最後シンボリルドルフに差されたが2着に残り面目を保ったのだ。
最強馬の称号を得た。
その後ジャパンカップで日本馬が優勝するのは7年待つことになる。
7年後優勝したのはシンボリルドルフの子トウカイテイオーだった。
正に競馬はドラマだ。
戦績 22戦 10・4・1・7