パリ五輪では金メダル20個と、JOCが掲げた目標に到達。
メダル総数の目標55個には及ばなかったが、誇っていい数字だ。
しかし競技別では、レスリング、フェンシング、体操など、目標通り、あるいはそれ以上の結果を残した競技と、そうではなかった競技も当然ながらあった。
その一つが競泳だ。
今回競泳チームは400個メドレー松下選手の銀1個という寂しい結果。
メダルが全てではないが、チームとしては到底満足出来るものではなかったはずだ。
その兆しは東京大会の頃からあった。
本来地元開催はメダル量産が期待されるが金2個、銀1個だった。
しかも金2個は女子個人メドレー大橋選手ひとりで獲得したものだ。
リオ五輪が金2、銀2、銅3なので、東京はもっと良い結果になると思っていた。
既に3年前に競泳陣は下り坂に入っていたのだ。
しかし東京大会はコロナ禍真っ只中だった。
練習もままならなかった中でピーキングも難しかったとは思う。
だが、今回の結果は、東京以降3年間の上積みが全くなかった・・・と思ってしまう。
代表選手を見ると、男女とも約半数の選手が東京大会から入れ替わっている。
選手層が厚いのか、成長が見られなかったのかはわからない。
ベテラン選手の代表入りも目立った。
鈴木聡美選手は、今年になって自己ベストを更新し、本番でも4位入賞を果たした。
あっぱれな復活で競泳陣に力を与えたはずだったが、肝心の若手選手に元気がなかった。
結果、メダルは銀1個。
入賞は11種目13人に及ぶが、自己ベスト更新は松下選手ひとりのみだった。
溌剌として元気いっぱいな本多選手が予選落ちしたのも、わが目を疑った。
理由がわからない。
ピーキングの失敗と言ってしまえば簡単だが、何故そうなったのか。
今、各種媒体では指導体制の問題、チームとして機能せず、個々も戦う姿勢が見えなかったとの厳しい指摘もある。
どの競技にも浮き沈みはある。
水泳も1930年代、50年代はとてつもなく強かった。
その後70年代は単発的に金メダリストが輩出され、2000年代になって北島選手を筆頭に、隆盛期を迎えることが出来たのだ。
今は少し冬の時代になっただけだと思いたい。
4年後のロサンゼルスに向けて、チーム全体でムードを盛り上げていける体制作り。
それが急務だと思う。
その為にはコーチ陣の若返り。
北島、入江、松田などの2000年代を選手として過ごした人材が、コーチ陣として指導する側に立ち強化を推し進めることが復活への近道と思うがどうか。